2013年2月1日、知財高裁で大合議事件の判決言渡がありました。裁判の傍聴が好きな私は、これを傍聴しました。裁判の傍聴の意義について、個人的な所感を述べます。

今回の判決の要旨が、知財高裁のウェブサイトにpdf形式のファイルとしてアップロードされています。

http://www.ip.courts.go.jp/documents/g_panel.html

この要旨のアップロードを私が確認したのは、判決言渡を傍聴してから2時間半後のことでした。インターネットが発達した現代では、このように、素早く情報が頒布されます。判決の内容を知ることが目的であれば、当然のことながら、判決言渡を傍聴する必要はありません。

それでは、わざわざ裁判所に赴いて傍聴する意義は何でしょうか?

ここで、語弊を恐れずに例えるならば、裁判の傍聴は、競技場やコンサート会場に足を運ぶ感覚に似ているのかもしれません。競技やコンサートの内容を楽しみたいのであれば、現場に足を運ばずとも、中継や記録映像を観れば足りるでしょう。

それでも現場に足を運ぶのは、現場の雰囲気を感じ取りたいからにほかなりません。

例えば今回のように、知財高裁の大合議にまで進展した事件は、今後の知財実務に大きな影響を与えるに違いなく、注目度が極めて高いといえます。こういった事件の判決言渡がどのような雰囲気で行われるのか、興味が湧かないでしょうか?

今回、判決の内容面については、私は裁判長が判決の理由についてどの程度まで言及するのか興味がありましたが、主文の朗読のみで終わりました。

一方、判決の内容以外の面、例えば、法廷を支配する緊張感、報道陣による法廷撮影の間の長い静寂、裁判官の威厳、訴訟当事者の面もち、閉廷後の傍聴人の様子…、等々、現場でしか感じることのできないものがありました。

裁判の傍聴は、非日常を体験する良い機会です。知財高裁の事件のみならず、一般の民事・刑事の事件もお勧めです。繰り返し傍聴していると、争点になりやすい事項が共通項として見出されてきます。つまり、我々が日常業務で留意すべき点が見えてきます。また、判決文から読み取ることのできない本人・証人の尋問の様子を見ることができます。

いずれ自分が当事者になってあの場にいるかもしれない―――、こう思うと、傍聴席に座っていながら、あたかも訴訟の疑似体験をしているかのような感覚に陥ってきます。

これが傍聴の魅力なのかもしれません。

裁判所に足を運んで、書面に現れない“何か”を体験してはみませんか?

※この記事は一般的な情報、執筆者個人の見解等の提供を目的とするものであり、創英国際特許法律事務所としての法的アドバイス又は公式見解ではありません。